え~本日私、せんちゃんは無事に高校を卒業することが出来ました。これはひとえに私自身の努力のみで成しえたことではなく、家族であるとか、友人であるとか、今、このDNを読んでいる皆様であるとかの支えがあってこそ、成しえたものであると思います。
思い返してみると本当に色々なことがありました。小さな仲たがい、衝突など、私自身の未熟さ、ガキっぽさなどの至らない点のせいで二、三はあったように思えます。しかし、特に大きな問題もなく、意義や実りの多い高校生活三年間を過ごせました。当然後悔も多いですが……
~以下回想~
思えば、三年前の四月のあの瞬間には、大きな夢や希望を抱き、美しく、未来だけをただ純粋に見つめる少年の瞳をひたすらに輝かせていた私がいました。高校生になったら、部活もして、勉強も一生懸命頑張って、それで素敵な彼女を作る、そんな紋切り型でステレオタイプなまさしく「進研ゼミ」的な幻想すら抱くほどに純粋でした。しかし、教室のドアを開けた、まさにその瞬間、私は現実に引き戻されました。
‘‘爆心地かと思ったよ──ボコウの言い回しで、ブスばっか”
ここでなんか色々とどうでもよくなって、勉強と部活だけしようと思い「青」と「春」の二文字に別れを告げてしまったのがよくなかったと、今更になって思っております。本当は中三の時の友達と約束していたようにほかのクラスにまでも可愛い娘を探しに行けば多少は違ったのかもしれませんが、このままだと今回のエントリーのタイトルが「東西線タラレバせんちゃん」になってしまう恐れがあるので自粛させていただきます。
そんなこんなでスタートした私の高校生活、やれさっそくと弓道部に入ると看板に偽りあり、あのタコ入道ってば嘘書いていやがった。なにテストまでは六時帰宅だい、気が付きゃみっちり七時まで、生活に慣れる間もなく受けたテストは大爆死、これはいかんと気張るも、成績はこりゃまた乱高下「ダイ・ハード2・0」「乱気流」も腰を抜かす大航空スペクタクル長編に……しまいには唯一の希望だった弓道も、段の審査の前日についに体まで音をあげやがって、そっからはリハビリリハビリの毎日、弓なんかろくすっぽ引けなくなっちまって、周りのレベルは上がってくもんだから、当然精神にもきちまう、年明けにゃ治る見込みもなくなってやれ退部だなんだとオイラすっかりまいっちまってグダグダのまま進級。
二年に上がり文系のあたしは世界史ができるのが嬉しいのなんのって……だけどなんの因果か、数学がからっきしダメだったもんだからそこだけは本当に苦労した。クラスの様子も爆心地ってほどじゃあなくなったにしても、やっぱり一年やそこらやってないと女の子とろくに会話のひとつも出来やしない、おまけに染み付いた変態癖のせいで気が付きゃ隣になった女の子に「やばくない? 次は○○ちゃんにまわってくるんじゃない? 」等とひそつかれる始末(今となっちゃ手前だって化粧しなきゃ人前にも出られないようなくそブスのくせによくンなこと言ってられたなこのバカ女って感じだが)ああこりゃ俺は人間の屑なんだって思うまで三秒もかかんなかった。よく俺はなぜ女子を直視しない、できないのかって聞かれて「こんな俺が目を合わせようもんなら気持ちが悪くて仕方ないだろ」って答えるが、それもさもありなんって感じだ。
そのころにゃあバイトもそこそこ慣れちまって、時間だけはあるもんだから、どうしても手に入らない「青春」ってやつの靄みたいな部分だけでも欲しくって、超がつくほどのおポンチでございましたから、ギャルゲーなんてのにも手を出した。「アマガミ」なんぞをやったりする始末、当然クリスマスは学童のガキどもと過ごす結果に、当然のことですが、ガキには「インティライミは彼女いないの? 」と聞かれ、主任のおばさまには「そんな甲斐性あるわけないでしょ、こいつは真面目なんだから」と言われ、真面目ってのは一種「呪い」だなって悟ってまった。「真面目」って言葉は誉め言葉のようで、実はそうじゃないってのは俺が一番よく知ってる。この言葉はくその役にも立たない評価の一つで(社会に出るとくそくらいの役には立つらしいが)便利に使われておしまいなのが関の山、僕が自分に自信が持てやしないのはこういうわけもある。そんなこんなで進級。
勉強なんてはなっから遊びの一環でしかなかったような僕が、まともに勉強なんてする気にならなくて「ヤバいな」とは思ってました。だけど、僕はそれ以外の全てを捨ててしまっているわけじゃないですか(自問自答)だから、やっぱりそこだけでも成功しないと、中三の、少年の私に申し訳が立たない、とは思ったものの、本格的に勉強し始めたのは夏休みから、学校の講座は文系の奴については全部入れて、とにもかくにも勉強せねばと気合を入れたのですが、これがある意味成功であり、失敗であったように思えます。
何故なら(ここまでのエントリーでも、散々醜態をさらしていますが総集編ということで改めて)僕は夏休みのはじめに始まったこの講座でそうですね……早い話「一目惚れ(コメの銘柄ではない:渾身のギャグ)」したわけでしたが、どうにも届かないもの、一度もすれ違ったことのない素敵な女の子に恋をしてしまった私はさあ大変、なすすべもなく毎日とにかくランニング、旅行と雨の降った日以外はもれなくランニング、届かないものに手を伸ばすのをやめようと精神削って臨んだ駿台は第一志望がC判定、思えばこのころから「捨てることで強くなる」的な感じになってましたね、ハイ。
しかし幸か不幸か知り合ってしまったせんちゃん、しかし十七年やってきた童貞の癖は抜けず、やはり情けない感じに……素敵な人と話の一つや二つをしていいような生き方をしてこなかったわたしは葛藤の中筋トレ、そして勉強へと邁進する日々、一般の男だったらおしゃれしたり積極的に話したりするところをそうしたのはひとえに私の人生哲学が影響していますね「美しさは内面から出るものである、取り繕ったハリボテが何になろう」この信念のもと、見てわかる程度にはがたいが良くなりましたし、第一志望の大学にも合格するくらいには頭も良くなりました。
しかし「都の西北に桜が咲いたら」なんていった大先生との約束も果たせずじまい、桜は咲いたが役立たずって感じですね。あがきまくっても自らの奥手さ、意気地のなさでどうにもならなかった辺りが俺らしいと言ったら俺らしい。まあ正直、諦めちゃいましたからね、途中で。
二月の前半でしたか、あれは、もう何にもしたくないし、感覚器官の全てがつぶれてしまえば幸せだろうにと思った日々、ここで初めて友人二人に何で悩んでいるのかを打ち明けました。この時の友達のセリフが印象的でしたね「せんちゃんも人の子であったか」というこのセリフ、いかに私が非人道的に生きてきたかがわかりますね。その後インフルにもかかり、友人のみならず先生方にも受験失敗を危ぶまれる事態に……しかし復活後の俺は違いました。鬼神のごとき勉強で勝利を掴みました。
近くの届かないことが確定している目標ではなく、遠くにある届くかもしれない目標に焦点を切り替えていったのはたぶん思春期の学生としてはアウト、受験生としてはベストだったのでしょう。まさに「思春期を殺した少年の翼」といったところでしょうか、夢を見たかった時に見れなかった、それでもいまだに美しい目をしている少年の私、彼への贖罪のために、今度夢を見るときは最初から素敵な男として夢を見られるように、恋をできるように、いつかどこかで出会う、私と恋をしてくれる、そんな素敵な女性のために、努力はやめません。だから、受験が終わってからも勉強してますし、筋トレはもちろんのこと、本もたくさん読んで感受性を養い、ついでに知識も得ています、この調子で頑張って一回りも二回りも強く賢く美しい男になって、今度こそ純粋な私に涙を流させないようにします。
ここまでお付き合いいただいた方々、何度も何度も繰り返しばかりの長文乱文失礼いたしました。
次回の更新は「恋愛工学」についての僕のここまでの研究成果、そして童貞歴十八年と三か月とちょっとの俺でも実践できるようなプランニングのデチューン、ついでに今回の事例でどこが具体的に良くなかったのかを分析し、今後の生活に生かしていく、戦略的な記事になる予定です。「ふりむくな、ふりむくな、うしろには夢がない」という詩もありますが、私は夢ではなく現実をみて戦うのであしからず。
最近マジック関係の更新少ないっすね、童貞物語って感じ
思い返してみると本当に色々なことがありました。小さな仲たがい、衝突など、私自身の未熟さ、ガキっぽさなどの至らない点のせいで二、三はあったように思えます。しかし、特に大きな問題もなく、意義や実りの多い高校生活三年間を過ごせました。当然後悔も多いですが……
~以下回想~
思えば、三年前の四月のあの瞬間には、大きな夢や希望を抱き、美しく、未来だけをただ純粋に見つめる少年の瞳をひたすらに輝かせていた私がいました。高校生になったら、部活もして、勉強も一生懸命頑張って、それで素敵な彼女を作る、そんな紋切り型でステレオタイプなまさしく「進研ゼミ」的な幻想すら抱くほどに純粋でした。しかし、教室のドアを開けた、まさにその瞬間、私は現実に引き戻されました。
‘‘爆心地かと思ったよ──ボコウの言い回しで、ブスばっか”
ここでなんか色々とどうでもよくなって、勉強と部活だけしようと思い「青」と「春」の二文字に別れを告げてしまったのがよくなかったと、今更になって思っております。本当は中三の時の友達と約束していたようにほかのクラスにまでも可愛い娘を探しに行けば多少は違ったのかもしれませんが、このままだと今回のエントリーのタイトルが「東西線タラレバせんちゃん」になってしまう恐れがあるので自粛させていただきます。
そんなこんなでスタートした私の高校生活、やれさっそくと弓道部に入ると看板に偽りあり、あのタコ入道ってば嘘書いていやがった。なにテストまでは六時帰宅だい、気が付きゃみっちり七時まで、生活に慣れる間もなく受けたテストは大爆死、これはいかんと気張るも、成績はこりゃまた乱高下「ダイ・ハード2・0」「乱気流」も腰を抜かす大航空スペクタクル長編に……しまいには唯一の希望だった弓道も、段の審査の前日についに体まで音をあげやがって、そっからはリハビリリハビリの毎日、弓なんかろくすっぽ引けなくなっちまって、周りのレベルは上がってくもんだから、当然精神にもきちまう、年明けにゃ治る見込みもなくなってやれ退部だなんだとオイラすっかりまいっちまってグダグダのまま進級。
二年に上がり文系のあたしは世界史ができるのが嬉しいのなんのって……だけどなんの因果か、数学がからっきしダメだったもんだからそこだけは本当に苦労した。クラスの様子も爆心地ってほどじゃあなくなったにしても、やっぱり一年やそこらやってないと女の子とろくに会話のひとつも出来やしない、おまけに染み付いた変態癖のせいで気が付きゃ隣になった女の子に「やばくない? 次は○○ちゃんにまわってくるんじゃない? 」等とひそつかれる始末(今となっちゃ手前だって化粧しなきゃ人前にも出られないようなくそブスのくせによくンなこと言ってられたなこのバカ女って感じだが)ああこりゃ俺は人間の屑なんだって思うまで三秒もかかんなかった。よく俺はなぜ女子を直視しない、できないのかって聞かれて「こんな俺が目を合わせようもんなら気持ちが悪くて仕方ないだろ」って答えるが、それもさもありなんって感じだ。
そのころにゃあバイトもそこそこ慣れちまって、時間だけはあるもんだから、どうしても手に入らない「青春」ってやつの靄みたいな部分だけでも欲しくって、超がつくほどのおポンチでございましたから、ギャルゲーなんてのにも手を出した。「アマガミ」なんぞをやったりする始末、当然クリスマスは学童のガキどもと過ごす結果に、当然のことですが、ガキには「インティライミは彼女いないの? 」と聞かれ、主任のおばさまには「そんな甲斐性あるわけないでしょ、こいつは真面目なんだから」と言われ、真面目ってのは一種「呪い」だなって悟ってまった。「真面目」って言葉は誉め言葉のようで、実はそうじゃないってのは俺が一番よく知ってる。この言葉はくその役にも立たない評価の一つで(社会に出るとくそくらいの役には立つらしいが)便利に使われておしまいなのが関の山、僕が自分に自信が持てやしないのはこういうわけもある。そんなこんなで進級。
勉強なんてはなっから遊びの一環でしかなかったような僕が、まともに勉強なんてする気にならなくて「ヤバいな」とは思ってました。だけど、僕はそれ以外の全てを捨ててしまっているわけじゃないですか(自問自答)だから、やっぱりそこだけでも成功しないと、中三の、少年の私に申し訳が立たない、とは思ったものの、本格的に勉強し始めたのは夏休みから、学校の講座は文系の奴については全部入れて、とにもかくにも勉強せねばと気合を入れたのですが、これがある意味成功であり、失敗であったように思えます。
何故なら(ここまでのエントリーでも、散々醜態をさらしていますが総集編ということで改めて)僕は夏休みのはじめに始まったこの講座でそうですね……早い話「一目惚れ(コメの銘柄ではない:渾身のギャグ)」したわけでしたが、どうにも届かないもの、一度もすれ違ったことのない素敵な女の子に恋をしてしまった私はさあ大変、なすすべもなく毎日とにかくランニング、旅行と雨の降った日以外はもれなくランニング、届かないものに手を伸ばすのをやめようと精神削って臨んだ駿台は第一志望がC判定、思えばこのころから「捨てることで強くなる」的な感じになってましたね、ハイ。
しかし幸か不幸か知り合ってしまったせんちゃん、しかし十七年やってきた童貞の癖は抜けず、やはり情けない感じに……素敵な人と話の一つや二つをしていいような生き方をしてこなかったわたしは葛藤の中筋トレ、そして勉強へと邁進する日々、一般の男だったらおしゃれしたり積極的に話したりするところをそうしたのはひとえに私の人生哲学が影響していますね「美しさは内面から出るものである、取り繕ったハリボテが何になろう」この信念のもと、見てわかる程度にはがたいが良くなりましたし、第一志望の大学にも合格するくらいには頭も良くなりました。
しかし「都の西北に桜が咲いたら」なんていった大先生との約束も果たせずじまい、桜は咲いたが役立たずって感じですね。あがきまくっても自らの奥手さ、意気地のなさでどうにもならなかった辺りが俺らしいと言ったら俺らしい。まあ正直、諦めちゃいましたからね、途中で。
二月の前半でしたか、あれは、もう何にもしたくないし、感覚器官の全てがつぶれてしまえば幸せだろうにと思った日々、ここで初めて友人二人に何で悩んでいるのかを打ち明けました。この時の友達のセリフが印象的でしたね「せんちゃんも人の子であったか」というこのセリフ、いかに私が非人道的に生きてきたかがわかりますね。その後インフルにもかかり、友人のみならず先生方にも受験失敗を危ぶまれる事態に……しかし復活後の俺は違いました。鬼神のごとき勉強で勝利を掴みました。
近くの届かないことが確定している目標ではなく、遠くにある届くかもしれない目標に焦点を切り替えていったのはたぶん思春期の学生としてはアウト、受験生としてはベストだったのでしょう。まさに「思春期を殺した少年の翼」といったところでしょうか、夢を見たかった時に見れなかった、それでもいまだに美しい目をしている少年の私、彼への贖罪のために、今度夢を見るときは最初から素敵な男として夢を見られるように、恋をできるように、いつかどこかで出会う、私と恋をしてくれる、そんな素敵な女性のために、努力はやめません。だから、受験が終わってからも勉強してますし、筋トレはもちろんのこと、本もたくさん読んで感受性を養い、ついでに知識も得ています、この調子で頑張って一回りも二回りも強く賢く美しい男になって、今度こそ純粋な私に涙を流させないようにします。
ここまでお付き合いいただいた方々、何度も何度も繰り返しばかりの長文乱文失礼いたしました。
次回の更新は「恋愛工学」についての僕のここまでの研究成果、そして童貞歴十八年と三か月とちょっとの俺でも実践できるようなプランニングのデチューン、ついでに今回の事例でどこが具体的に良くなかったのかを分析し、今後の生活に生かしていく、戦略的な記事になる予定です。「ふりむくな、ふりむくな、うしろには夢がない」という詩もありますが、私は夢ではなく現実をみて戦うのであしからず。
最近マジック関係の更新少ないっすね、童貞物語って感じ
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